|

You are
[an error occurred while processing this directive]
th guest of this page.
このページは「ジーベックの今後の展開について」議論するページです。
まず、
こちらのページ
をご覧になって下さい。基本的には、まずそこで発言していただいてから、
ここでの議論にご参加下さい。
ご意見の投稿方法は
このページの最下段
をご覧ください。
「議論」の発言は、時間的に上から下になるように追加していきます。
つまり、最新の発言が最下段になります。
前言に対する引用は必要最小限として下さい。
冷静に、慎重に、そして柔軟にご検討の上、議論にご参加下さるよう、
ご協力よろしくお願いします。
否定的・懐疑的・断定的な発言では、発展的・創造的な議論になっていきません。
皆んなが求めているのはただ一つ、皆んなが幸せになれる方向性を見いだすことなのですから。
長嶋洋一
発起人スタッフ(^_^;)です。議論のとっかかりとして、
「ジーベックの灯を消さないで」のページの中で、ここでの議論に関連しそうなもの、
発展的な提案(タタキ台)と思われるもの、議論におけるキーワードとなりそうなものを、
独断でピックアップして紹介しておきます(3/4までの発言から)。
●TOAの方針
『TOAはXEBECを通じてイベントを継続します。ただし、今までとは違い、もっと広く
一般にわかりやすいものを、という方向性で、方針については検討中です』
●照岡正樹さん
アマチュアにとって,先進的作品を生で見聞きできる
貴重な場であり,また本当に数少ない,大切な発表の場
●神戸さゆりさん
とても芸術性・社会性の高い、あらゆるジャンルのパフォーマンスを身近に楽しむことができ、
いい意味で「アナザーワールド」へ誘ってくれる
●内橋かえさん
前衛音楽・新音楽のフェスティバル、非営利なスタンスで、非商業音楽のフェスティバルを
継続してきたことは貴重であると、各方面より少しずつですが注目と評価を得つつありました。
「子供や老人にもわかりやすいもの」とは、いったいどういったことでしょう
●三輪眞弘さん
特定のジャンルに囚われることなく「サウンドアート」という視点から捉え直されたプログラムの多様性、
国際的なアーティストの顔ぶれ
常に新しい出会いと方向性を探し求め新たな出会いが生まれながら、
ジーベックを通じて知り合った人々はその後もそこが自分の場所だと信じ愛せるような空間
●小島剛さん
新しい音楽や古典音楽など普段接する機会の少ない素晴らしい音楽を世に広めるという、
言わばソフトの社会認知を拡大させるアフターケア的な部分をも担っていたのは世界で
も稀有の存在であった
●北村祐子さん
自由な音楽、音、発想が生まれ、結実する場所
より若い人々、これから音楽を始めてみよう、という人たちにとってもジーベックは最良の教師になれるはず
●佐近田展康さん
今では国内で唯一となったただ興業するのではなくアートを育てるホール、
どんな厳しい条件でもサポートする高度な技術力、そして何より内外を問わずアーティストと観衆同士、
人と人とを役割や線引きで隔てるのではなく結び付け、
新しいアートを胎動させてきたこの希有の人的貢献
「どこにでもある安易なホール経営」になった時、
もはや人は橋を渡ってまでこの場所にやってくる理由を見い出し得ないだろう
●笹岡敬さん
ジーベックは日本ではじめて実験的な作品の存在を積極的にサポートした存在でしょう。
世界的レベルで見ても、実験的な作品を援護していく場がまだまだ貴重
●小暮宣雄さん
「子どもや老人」が参加できるように、いままでここが取り上げてきた
サウンドアーツに触れるワークショップをするなら大賛成
●平野砂峰旅さん
コマーシャルベースに乗らない作品、
作品自体がジャンルであるような、ジャンルという枠に入りきれない作品は、
発表の場を得るのが非常に難しいのです。そういった発表の場が少なくなれば、
作品も生まれにくくなるという悪循環に陥るのです
●熊倉純子さん
「アートエイド神戸」「阪神アートプロジェクト」
など神戸からは日本全国のアートファンを励ますようなプロジェクトが出ていますが、
ジーベックは、小さいながら大事な核としてさまざまな芽吹きを生んだ
●中川博志さん
ジーベックは、
一介の民間ホールの活動がどれだけ多くの創造者たちを生み出しうるかの実験場のようなものだった
芸術家の活動は、社会に対して想像力の選択肢の幅を広げる重要な役割を果たすと同時に、
社会的認知度や経済性などによる制限との戦いでもあると思います。こうした芸術家の戦いに寛容であり続ける場
内橋かえ
以前、Xebecのスタッフから出た、大変興味深い案について、
ここでは触れられていない様ですので議論の布石にしてください。
それはいうなれば
『一企業だけに継続の責務を頼らない、人々と賛同企業複数の
メンバーシップによる文化施設の運営』
といったもので、具体案として
●TOAはこれまでのようにジーベックというスペースを提供。
●サポートのためのメンバーシップを組織、個人負担年¥3,000程度、
団体は年¥300,000程度。
●目標として1,000人の個人会員の参加が得られれば、ニューズレター
(今までの会報誌『SoundArts』とイベントインフォメーションを
あわせたものを年4回程度)を会員の方に発送し、いくつかのコンサート、
レクチャー、ワークショップも可能。
(試案ではさらに詳細な年間活動の予算組やTOA、管理組織について
大変具体的、かつ現実的試案と試算が出されていました。)
メセナ協議会の方の私見では、企業参加10社は十分可能な数字だそうですし、
従来のXebec会員の実績や、現在の様子では1000人の個人会員も難しくはないと思われます。
しかしなんと『結局、
会員制度の話しはジーベックの社長との間で破綻してしまいました。』そうな。
TOA/Xebecの負担を軽減して、せっかく培ったネットワークやアクティヴィティを、
市民と共同でもっと継続・続けて行こうという呼びかけが、
どうして破綻したのか、不明瞭ではあります。
最低限に絞られた負担すら、もうゴメン、ということでしょうか。
ではどれだけTOA/Xebecの負担を削れば、
市民や大きな広がりと手をつないでくれるのでしょうか。
私はどういった経緯でこの試案が破棄されたのか知りたい上、
是非やらせて欲しい、と願います。もしかしたら、
Xebecがもっとソリッドで面白くなるかもしれないのですから。
この試案が、果たして本当に不可能なのか、賛同者は必要に満たないのか、
ここで広い方々の意見をお聞かせいただきたいものです。
よろしくお願いいたします。
大平透
(編集、校正、デザイン、執筆、専門学校非常勤講師、その他よろず請負)
これまでのジーベックの活動には、深い興味と憧憬をもって注視してきました。
先鋭的なサウンド・アートを常に紹介しているスペースが存在する、
ということだけでも他に類をみない貴重なものであるうえに、
時折友人を介して伝え聞く企画の多くがヴィヴィッドな「現在」と正面から対峙する
力強いものに感じられたのですから、滅多に関西方面へと出向くことのない者にとっても、
それは当然のことのように思われます。
(無謀にも「大友良英インスタレーション」と、二回目の「フェスティバル・
ビヨンド・イノセンス」には、ただそれを観たいだけの理由で神戸に足を運んだ
こともありました)
また、「メセナ」と称しつつ、作家に過剰な負担を強いて疲弊させるような
いくつかの企業の姿勢を実際にみるにつけ、ジーベックならびにTOAが
これまで作家に提供してきた環境とコラボレイティヴな姿勢は、ある種、
理想的なものであったと云っても過言ではありません。
ですから、今回の方針転換の表明は非常に驚くべきことであり、
ジーベックのこれまでの活動と、それらにかかわってきた決して少なくはない音楽家や作家、
そして観客である私たちとの関係をも反故にしてしまうのではないかという懸念を
強く抱いております。
TOA側の方の説明では「TOAはXEBECを通じてイベントを継続します。ただし、
今までとは違い、もっと広く一般にわかりやすいものを、という方向性で、
方針については検討中です」とのことですが、「一般にわかりやすいもの」とは、
一体、何を指しているのかがわかりません。
この点については是非ともご教示いただきたいと思います。
(例えば電気やガス、水道といったライフラインが戦火で寸断され、
外出すればいつどこから狙撃されるかもしれない状況下にあったサラエヴォで、
それでもあえて危険を冒してまで上演された演劇が、難解をもって知られる
「ゴドーを待ちながら」であったこと、そしてその上演を心待ちにして集まった
観客が演劇関係者ではない「一般の」市民だったことを想起することはできます。
ですが、はたして、そのようなことを念頭において言っているのでしょうか?)
もし仮に「一般にわかりやすいもの」が、既知のもの、
かつてあったものをなぞることであるのならば、私たちは未知なるものの
創造と発見という得難い経験へと至る可能性を奪われてしまうことになるでしょう。
(それとも、年末に「第9」をみんなで合唱するような「お約束」が私たちの
「文化」なのでしょうか? まあ、これは趣味の悪い冗談ですが)
また、付け加えれば、すくなくとも一観客である私自身は、
たんに「イヴェント」 に期待してジーベックを訪れていたわけでもありません。
作家やその作品を通じて「未知なるもの」への手がかりを得たい、
いま生まれつつある私たちの「文化」の現在と出会いたい、
そうした気持ちを持った人々がこれまでジーベックに期待し、
たとえ微力ではあってもこれまでの活動を支えてきたのではないでしょうか。
(あるいはこうした志向を持った人々は
もはや「一般」の市民ではないとお考えなのでしょうか?
無論、そのように考えている訳ではあるまいと信じたいのですが)
私の知る限り、ジーベックは単なる「箱モノ」という以上に、関西近圏はもちろん、
日本国内から海外までも含めたアーティストたちの情報発信/受容のベースとして
機能している重要な施設です。繰り返せばそれは、
上述のような「未知なるもの」の創造と発見の場として、
市民に開かれた場であると認識しています。
今後もこの素晴らしい場が、真に文化の発展を担うものであってくれることを
切望します。
P.S. ジーベックのスタッフやサポーターから通りすがりの観客まで、
この支援活動に携わる皆さんに敬意を表して、
及ばずながらこのキャンペーンにかかわっていきたいと思います。どうぞよろしく。
ところで「XEBECの10年」はもっと詳細に記述していただければありがたいです。
P.S. その2 東京では表参道のNadiffでジーベックの二分冊カタログ
(私のは引っ越しの荷物に紛れて出てこない。泣)を扱っていたので、
そちらに情報を流せばいいかも。
ほかでは表参道のGallery360や四谷のP3(あれ? まだやってたっけかな?)
なんかはもしかするとこのキャンペーンに賛同してくれるかもしれないです。
(余計なお世話かもしれませんが)
長嶋洋一
スタッフの長嶋です。大平さん、御発言ありがとうございました。ところで、
「XEBECの10年をもっと詳細に記述して」とのことですが、
既に私の手元には、1989年から1992年までの分のジーベック開催イベント
全記録(未校正)と、1989年のみの分の英語版が届いているのですが、
これでは「10年の記録」としてはあまりに中途半端なために、
あのページへの掲載を躊躇しているという段階です。
もし資料が10年間について揃いましたら、もちろん当然のこととして、
「XEBECの10年」のページを全面改訂して、その詳細な軌跡を公開したいと
思っております。(^_^) いましばらく、お待ち下さい。
伊藤祐二
(作曲家、都立高校教諭)
井上郷子
(ピアニスト)
大平様の発言に補足したいと思います。
私達は、東京の小平市にある「ルネ小平」というホールで進行中の
「20世紀音楽の鑑賞ガイド」(小平市文化振興財団企画)という企画の
スーパーヴァイザーをしています。足掛け4年、全12回のこの企画は、一般市民向けの企画です。
でも内容はドビュッシーから始まりつつ「前衛」や「実験的なもの」まで扱っています。
決していわゆる「わかりやすい」というものでは無いと思います。
しかしその観客層はとても広く、毎回来て下さるおばあさん(失礼!)もいらっしゃいます。
思うのですが、「広く一般的な」人々などというものは存在しないのではないでしょうか?
それぞれ固有の好み、感性等をも持ったそれぞれ固有の個人が存在するのであって、
「広く一般的な」人々なんて存在しない。演歌をやれば、たまたまそれに反応する個人がいる、
ロックをやればそれに反応する個人がいる、ということ。ただ、
その人数が多かったり少なかったりするだけです。(演歌やロックだって奥行きは深くて
「一般的な演歌」、「一般的なロックなんて」言えるはずもありませんが)、で、
こと”文化的イヴェント”のようなものは人数などの量で計れるものではないし、
計ってはならないものではないでしょうか?大切なのは一人一人とイヴェントとの
出会いの深度なのではないでしょうか?それを保障するのは送り手が送る内容の質であり、
熱意であり、プレゼンテーションの仕方なのではないでしょうか?もう一度書きます。
「広く一般的」な人々なんて存在しません。お客に失礼です。「広く一般的な企画」
なんて存在しません。音楽やetc.に失礼です。存在するのはすぐれたスタッフにより
熱意をもって提供される優れた企画と個人個人の深い出会いなのです。
岩淵拓郎
(メディア・ピクニック代表・サウンドパフォーマ)
井上さんのお話から展開して少し僕の個人的な意見を書きます。
「広く一般的な人々などというものは存在しないのでは?」という事ですが、
僕は正直なところ明らかに「いる」と思います。正確にはマーケットという
面から見て広く一般的な「層」に分類される人たちがいるということです。
それはどのジャンルで見るかによってそこに属するかしないかはちがってくるわけですが、
少なくとも「広く一般的」な部分にまったく属していない人など
おそらくこの国にはいないんじゃないでしょうか?
もちろん井上さんもこんな事は百も承知で発言されたことはわかっています。
ただ、僕が申し上げたい事は、広く受け入れられることも重要だということです。
もしTOAが(もしくはジーベックの社長さんが?)現在のジーベックの集客力、
もしくは社会的影響力を冷静に判断して方向転換しよとしているのならば
それは仕方のないことです。なにしろTOAは営利を目的とする企業だからです。
ジーベックは本来TOAの広告塔のひとつとして機能するためにできたものですから、
なにかしらのフィードバックを期待するのは当たり前のことですし、
それがなければ方向転換するか、もしくは活動自体をやめるのは当然の成り行きだと思います。
(実際のところTOAの経営に何かしら影響を与えるような大きなフィードバックも
あるようには見えなかったし・・・・)だから、僕は今回のことで
TOAに社会的責任をどうのこうのいうつもりはありません。
ただ、僕がひっかかっているのは「いままでのようなイベントはやらない」という点です。
ジーベックには10年という歴史と、その間に育んできた強大なネットワークがあります。
それをいきなり全部きり捨てるのはどう考えても「もったいない!」の一言につきます。
既存のネットワークを保ちながらもうちょっとお客がはいるような仕組み・・・
そういうのもあるんじゃないでしょうか? たとえば現在ジーベックで行われている
iMAC50台をつかったイベント「インキュベーター」なんかはそのいい例だと思います。
もっと言えばTOA製品のプレゼンテーションをアーティストに委託するなんて方法もあるでしょう。
そうなればTOAがジーベックをやっていく意義も今よりは明確になるんじゃないでしょうか?
そういう意味でもかえさん(遅くなりましたがご出産おめでとうございます!)が転載(?)してくれた、
賛同企業複数のメンバーシップによる共同運営にもあまり賛成しかねますね。運営の主体が複数になると、
いまよりTOAに影はうすくなりますから。問題は軽減ではなく、意義をみつけてあげることでしょう。
正直なところ、今回の「広く一般的に・・・」「今後、今までのような活動は・・・」という
TOAの打ち出した方針は、全ての現状を理解した上で冷静に下された判断だとはおもえません。
もっとつっこんでいえば、個人的な感情論がどこかではいっているような印象をうけます
(誰の「個人的」な事なのかはわかりませんが・・・)
()
ここでの議論への参加方法
(sorry, closed)
|